あなたを好きでいてよかった

おきもちひょうめいだいすきおじょうさま

めいど_

今回のブログは群を抜いてキモいというか、どれくらいキモいかというとこれは完全に推しへの申し送り事項です。公共の電波を使ってやってるあたりがキモポイントです。

 

ちゃまめちゃんへのお手紙に、「メイドのちゃまめちゃんが好きでした。魔法が解けた女の子はもう他人です。」みたいなニュアンスのことを書きました。

これは、ちゃまめちゃんの中の人には興味ないよ、ちゃまめちゃんじゃない貴女のことは何も知らないから。っていう意味合いでした。多分書いたのは12月25日とかだったのですが、当時は本当にそう思っていたんです。知ってるなんて面できないし、私はメイドのちゃまめちゃんに会いに行っていたわけですから。メイドじゃない時間は一人の女の子として何もオタクのことなんて気にせず過ごして欲しかった。Twitterだってリプ返頑張らなくていいしブログだって更新しなくたっていいのに。会いに行けばメイドのちゃまめちゃんとしているべき時間にその仕事を全うしてくれたしコミュニケーションがとれるし、そこで初めてオタクとして対価が払えるわけで......無償の愛だとかなんだとか、そういうものほど気味の悪いものはないですからね。

と、いいつつ、すぐそのお手紙には「もしかしたら強がりかもしれないけれど、それでも今の私にはそう伝えるだけで精一杯です」と続けました。もし何かしらの形でちゃまめちゃんの中の人の生存を知る手段があれば、きっとそれを追いかけてしまうくらいは自分でもわかっています。でもどうしても、メイドのちゃまめちゃんが好きだったよって言いたくて、それがいちばん大きな感情で、そこだけは正しく伝えたかった。でももしかしたら間違っていたというか、一方的な押し付けに近い考えだったのかなとか、まあもうメイドとお嬢様の関係性じゃないので一般女性にクソデカ感情抱え続けてる一般女性の構図なのですが、それでも本人に少しでも変な勘違いをしてほしくないし、という意味で全く構想も何もなくここに綴っています。

 

もし仮に、もうメイドじゃないとわかっていながら、私がかつてちゃまめちゃんだった人を追いかけているのだとしたらそれは、ただただ面影にすがって、まだちゃまめちゃんがいるのではないかって、そう考えてしまっているわけで あんなにTwitterでわたしもうちゃんと見送ったんでw別に未練とかないですしおすしwみたいにイキってるのに超恥ずかしいわけですよ。

冷静に考えればちゃまめちゃんの生存を確認って意味わかんないじゃないですか、だってもうちゃまめちゃんはいないのに。もうその存在は消化されて、思い出としてしか生きられないのに。たぶん手紙には何一つ今後の幸せとか人生とか、願ってなんかいませんでした。懐古厨だからお手紙の締めには「思い出がずっと残りますように」って、ずっとあっとのちゃまめちゃんに縛り付けてるみたいですよね。強がりだとかそういうことよりも、私にはメイドのちゃまめちゃんが全てだったから、卒業直前にそういうことを全然考えられなかったのかなと思います。

 

ただ、オタクなので特有の掌返しが得意技でした!卒業イベントを終えて、「幸せでいてください」ってリプライできたし、これからも微弱な電波で確かにまだちゃまめちゃんを構成する大きな存在がこの世界にいて、その子が幸せでいることを知ることができて、私が幸せだと言えるようになりました。それくらいに素敵な卒業式だったし、何度も言うけれど私はお嬢様としてできること全部できたって思えているからだと思います。それと同時に、ちゃまめちゃんを作ってくれたとってもとっても素敵な人が同じ時間を生きていて、同じ世界で出会えて、それだけで私はその人の今後を、ちゃまめちゃんとして過ごした日々と同じくらい、もっとそれ以上に素晴らしいものであることを願わずにはいられないわけです。

 

とまあ上記により、私は卒業のお手紙であれだけ啖呵を切ったにもかかわらずいまだに大好きだった人の跡を探し続けてメイドの貴女が大好きですなんてちょっと理解のある振りをしてそれすらうまく取り繕えないオタクだったわけですね。好きだという気持ちに一点の曇りはないので許してください🥺今日も好きです生きててそれを教えてくれて私を忘れないでくれて本当にありがとうございます、これからもどんな姿でも好きでいさせてください。でもほんとに見習い服が好きです。

 

〜編集後記(何様?)〜

はーーーーーーなんか想像の八倍くらい幼稚でシンプルにキモい内容になってしまいました。まあおきもちなんてそんなものです。何書いても納得できないし、直接伝える以上に響くことなんてないし、常にオタクはキモいものですから。そうですよね?