あなたを好きでいてよかった

おきもちひょうめいだいすきおじょうさま

愛とか情とかお気持ちとか

どうも、お久しぶりですわたしです。(そりゃそう)

先日るる子さん(10/31生、2020年9月メイド)に、バースデーに何が欲しいかを聞いたら、「愛」ってお返事をいただいたのでちょっと考えてしまいました。とっさに「愛」はちょっと違うんだよな〜と返したら「情とか、お気持ちとかでも」と言われたのでもっと悩んじゃいました。情とかお気持ちとかはクソデカ感情みたいなノリで持ち合わせているために納得してしまったので。

わたしの考える「愛」とるる子さんにとっての「愛」がなんだか一致しないのでまあ暇だし(暇ではないんですが)、「愛が欲しい」とは一体何か、ついでにBD祝いっぽいことを書くか〜ということで綴っています。このブログは「結局ごっこ遊びにすぎないどころか一方的にコンテンツとして消費してる/されてる関係性で「愛」について語る」という狂気です。

そもそも論として、「るる子さんは欲しいものを聞かれてたとえあったとしても具体的に答えるような精神性の持ち主ではない」ことから、自身の発言に対して少なくとも「ブログで考察的なsomethingがなされることは想定していない」ことは自明であり、よって「このブログに正当性はない」です。あとこれもものすごく大事なんですけど別にわたしは「るる子さんに干されてる」とか全く思ってないしむしろ「よくしてもらってるが???」というキモいマウント心を抱えています。

それでもるる子さんにおきもちブログを読みたいと言わせた言っていただいたので、お誕生日プレゼントとして本記事を贈ります。まともな誕生日プレゼントも用意せずマジで申し訳ない。

 

さて、わたしにとってるる子さんに使う時間と金銭が「愛」なのか?ということがまず大事ですね。

Yah○o!知恵袋で、よく「見返りを求めたら本当の愛じゃないのか?」みたいな質問があります。色々ベストアンサーを見た感じ、求めたら愛じゃないみたいです。(絶望的なソース、ガバ判定)

チェキを入れるとか花束を渡すとか、義務感じゃなくてただただるる子さんにとって必要なオタクだと思われたいからすることなので、ガッツリ見返りだな〜と思います。なので愛ではないですね。わたしのるる子さんに対するなにかって、そんな崇高なものじゃなくて、もっと心の泥臭いところ綺麗じゃないところから湧き出る感情で、「金銭が発生している」ことを理由に、気持ちを一方的に押し付け、それを利用しているだけにすぎません。わたしがあっとに通うのも、るる子さんにチェキチェキコレチェキするのも、全部自分のためです。どちらかというとこれは「情とかお気持ち」です。るる子さんのためになりたいという「情」とオタク性を担保する「お気持ち」です。

愛とかよくわからないからとりあえず愛じゃないって言いたいだけだろ、という厳しい意見もあります。(最近よくわん○らさんの動画を見ている奴)オタクに愛とかわかんないよ……オタクには好きと嫌いしかわかりません……気分が良くなる接客だけが好きです。コンテンツとして消費しているだけです。

るる子さんという、エンターテイメント。

 

次にるる子さんにとって愛とは何か、これこそ憶測になるんですけど、≠であることを示すために一応考えとかなくちゃですよね。周年リボンのとき、お花を持っていって一緒にチェキを撮ったんですけど、そこに「愛(、貰いました)」みたいなお絵かきをしてくれたんですね。るる子さんにとって花束は「愛」であると。他にもチェキ枚数の節目で「愛されし女」って書いてあったりするので、チェキを定期的に入れるのも愛なのかもしれません。るる子さんがなぜメイドを選んだのかも知らないレベルの人間が考察するには無理があったのでとりあえずそういうことにさせてください。(考察の放棄)

書いてて気分が悪くなってきました、論理が破綻しているからです。

わたしが行なってきたことはるる子さんにとっては愛であり、わたしにとっては見返りを求める消費です。そもそも見返りとして示されることってなんなんでしょうか。るる子さんにとって必要なことをできているという実感こそがわたしに必要なことです。わたしの行為に「愛」とるる子さんが名付けることで、全てが成立してしまう。ちょっと気付きたくないことに気付いちゃったというか、でもそれって互いがそうであると認めない以上は、気づかないふりをしていれば成立しないことではあるんですよね。わたしはるる子さんに「愛」だと思われたくないです。なんというか。

自分の言動に責任が持てないし、やっぱりオタクだから愛とかそんな素敵な言葉に後ろめたい気持ちになるし、ただるる子さんのオタクだって周りから認識されればそれでいいし、愛じゃなくてただ彼女の利益のために存在できればいいっていうかなんというかごにょごにょ もっと目に見える形で、数字で彼女に認識されたいっていうかうーん、むつかしい。もう考えるのやめてます。(事後報告)

 

わたしは昨年までちゃまめちゃんのお嬢様として、オタクとして生きてました。お嬢様としての原点はちゃまめちゃんで、彼女が卒業してからるる子さんのオタクになっているいまでも、めいど_ちゃまめの存在が大切です。初めの頃はるる子さんにちゃまめちゃんの影を求めたし、るる子さんのチェキ枚数が増えると同時にるる子さんはちゃまめちゃんじゃないことを強く実感して、寂しさに近いものも感じているわけです。るる子さんの2周年とPLランクアップを考えると、ちゃまめちゃんよりも長くの時間を彼女と過ごすことに躊躇いもあります。そもそも身の丈に合わないオタク生活から出る「他界したい」も割と冗談ではないです。近い将来いつか来るであろう るる卒でわたしもお嬢様を卒業するビジョンしか今は見えていません。ちゃま卒の後もこうやってあっとにご帰宅する理由はオタクコミュニティと、誰かのオタクをすることで自己を肯定したいからです。コミュニティはともかく、るる卒までにはもっと健全な世界で生きていけるようになりたいですさすがに。誰にも話してないし話すつもりもないけれど、ちゃまめちゃんのオタクをしてた一年はマジでメンタルが終わっていたのでそうやってでしか自分の機嫌をとることができませんでした。ちゃまめちゃんにほんとに救われていました。甘えすぎた結果、自身で立ち直る手段も探せず、ずるずる引き摺ってるる子さんにいま縋っている現状です。チェキチェキコレチェキも引き摺っています。

そんなこんななので今後の展望としては、まずるる子さんのオタクになると決めた以上それを全うして、元気にわたしも社会復帰です。社不やめるぞ2022!

 

本題とズレてきた気がしますね。お誕生日お祝いとして捧げるものだったのに.......(本当に?)

こんな文章の後に大変アレですが、るる子さんのメイド像と人間性(矛盾?)が大好きです。生まれてきてくれてありがとう。

甲斐性のないわたしですが、素敵なメイドのあなたを、新17歳も、その次の新17歳も支えさせてください。

 

「わたしが必要とされたいこと」と「るる子さんが愛を求めること」は交わっているようで平行線なので、何かもう一つアクションが起こらない限りは誰も幸せになれないんだろうけど、それでも「誰かにチェキチェキコレチェキしたい」というのと「情とお気持ちでもいい」はそれなりに近いところにあるんじゃないかなと思えるので今日もちゃまさんに想いを馳せながらるる子さんに会いに行きます。すきなきもちはほんとです。

 

 

後書き

締めがキモすぎてびっくりしました。(20代女性)

支離滅裂すぎて読み直しても意味わかんないです。(20代女性)

これを推しに読ませる度胸だけは本物なのかもしれない。(20代女性)